馬券王矢口 競馬にハマる

1999年2月14日(日)聖ヴァレンタインデーは1人東京競馬場にいた。当たり外れを繰り返し、第33回共同通信杯4歳ステークス(GⅢ)芝1800戦がスタート。

1着に勝浦騎乗の10番人気5番ヤマニンアクロ、2着に後藤騎乗の13番人気キンショーテガラ、馬連配当は69番人気で11万4650円だった。俺が買った馬連6点馬券の5点目に2-5が入っていた。その馬券は合計で1800円の購入で2-5は100円買っていた。

万馬券というのか11万馬券というのか、とにかく100円買った目が的中して11万円オーバーしたのは初めてだった。すぐさま俺の師匠?俺を競馬の世界に引きずり込んだ親友に電話、

「俺、今の馬券獲ったよ!」
「マジかよ?!お前これ11万以上ついてんだろ?お前これ超凄い事だよ!俺だって今までの最高は4万馬券だし。こんなの誰も獲れねぇよ!お前マジで凄ぇぞ!」

これが全ての始まりで、これで俺の腹は決まった。

100円が、正確に言うと1800円の馬券だが、11万4650円になった事が嬉しかった訳じゃない。金の問題じゃなく、親友曰く「超凄い事」「こんなの誰も獲れねぇ」という馬券を馬連6点で的中させた事に興奮した。たまたま当たった馬券に見えるかも知れない、競馬をやっていれば誰しもこんな経験があるのかも知れない。だが俺は競馬を始めて1ヶ月半の間、競馬場適性、距離適性、最高タイムに絞ってそれぞれの上位3頭を色々組み合わせて馬券購入して、当たっても外れても復習を繰り返してきた。ただ馬連6点で11万馬券を的中したんじゃない、もがき苦しみ考えて軌道修正の日々、そんな俺がやっと手にした「誰も獲れない超凄い事!」。

繰り返すが11万馬券ゲットがどうのこうのではなく、競馬を始めて1ヶ月半ただ闇雲に馬券購入してきた訳じゃなく、自分なりに馬券的中における規則性、法則を捜し求め努力して、やっとの思いで親友に言わしめた「お前マジで凄ぇぞ」という言葉。競馬歴20年近い親友の予想レベルが低いとか、俺が褒められて伸びちゃうタイプとか、そういうネガティヴな事を思う奴らがいるかも知れんが、自分の競馬デビュー戦から1ヶ月半思い返してみろよ。俺の充実した1ヵ月半と、お前らの体たらくだった1ヶ月半、雲泥の差じゃねーのか。俺はこの日に決めた。ちょっくら競馬っつーもんを究めてみっか!

「よくいるんだよ。たまたま獲った万馬券で勘違いしちゃって、競馬にハマる馬鹿が。」なんていう、負け犬の遠吠えをよそに俺は競馬研究を開始する。競馬に限らず人が生きていく上で、時間や経験が物を言うと信じ込んでいるタコが多いが、何の芸もなくそんな物に8本足でただぶら下がり、他人の陰口を叩いたり、揚げ足を取ったり、そんな不毛な日常を消化している奴なんぞに耳をくれる必要はない。俺は競馬予想を究めると決めた。1日の起きているうち殆どの時間を競馬研究に費やすと決めた。もちろん仕事はしてたが、仕事は仕事、無駄な時間を作らず、仕事で頭を使う時間以外の全ての時を競馬研究に充てた。ほんの一筋の光でもいい、その光が感じられたら、馬券的中に必要な光なのか不要な光なのかをとりあえず検証した。検証に次ぐ検証。

競馬場適性・距離適性・最高タイム、俺の競馬予想三種の神器。究めると決めたのだから1から再スタートする。灯台下暗しでは困る、先ず三種の神器から疑う。競馬場適性とはその競馬場を得意としているかどうかを教える数字のはずだった。距離適性とはその距離を得意としているかどうかを教える数字のはずだった。最高タイムとはそのコース、距離で速い時計を出せるかどうかを教える数字のはずだった….が、俺にとって見当違いの数字を道標に馬券購入していた事を思い知る事になる。

競馬デビュー前夜に親友から競馬新聞の大まかな見方しか教わらなかった事と、実際の馬券購入で的中が重なってしまった事が俺を盲目にした。俺が言うところの競馬場適性、競馬新聞から導く競馬場連対率とはその競馬場で連対している事に変わりないのだが、芝もダートも距離も関係ない数字だった(当時)。俺が言うところの距離適性、競馬新聞から導く距離連対率とはその距離で連対している事には変わりないのだが、芝もダートも競馬場も関係ない数字だった(当時)。俺が言うところの最高タイム、競馬新聞から導く最高タイムとは、そのコース・距離で記録している時計である事に変わりないのだが、初コースの時には載ってなかったり違うコースでの時計が載ってたり、斤量も違うし、その競馬場の時計でない場合がある粗い情報だった。競馬を始めて1ヵ月半もの間、俺はこんな基本的で簡単な事も知る事なく競馬予想して、終わったレースの復習をし的中馬券の規則性・法則を探していたのだ。それを知った時、自分のアホさ加減にゾッとした。

競馬場連対率も、距離連対率も、最高タイムも、新聞に記された通り至極客観的な数字で、それぞれの名称もその通り正しいかも知れない。ただ俺はそれぞれにもっと具体的な数字を求められたのに、アプローチする角度を誤っていた。これは些細な事かも知れないが俺にとっては大きな発見だった。自分が如何に見えていなかったか、自分が如何に無知だったか。物事には人それぞれに意味があり、裏表があり、ただ一面だけを見てそれを知る事は出来ない。多角的に見なければいけなかった。何故なら俺は的中馬券に、ひたすら普遍的・絶対的な規則性・法則を求めているのだから。俺は自分の無知に気付いた。自己満足に陥らず、高い所に位置する知に近付こうと努力すれば、俺は単に競馬予想をするのではなく、よりよい競馬予想ができると確信した。ソクラテスの無知の知である。

それなりに的中・払戻しが成せたが、俺は三種の神器をリセットした。競馬を究めるなら、競馬予想の前に競馬をもっと知る事から始めなければならない。競馬予想を1から再スタートする前の、競馬を知る0からの再々スタート。競馬デビュー戦を見ても分かる通り、俺は数字に重きを置いている。騎手にしても厩舎にしても血統にしても、見るべきものは数字。あの騎手はここ一番に強いとか、たまに穴を開けるとか、あの厩舎はこの種のレースに強いとか、あの血統は重馬場で脅威とか、そんな印象的で曖昧なものには全く価値を見出せない。全て数字が教えてくれる、数字は客観的であり真実を語る。だから徹底して客観的数字にこだわる。好き嫌いだの、思い入れだのの主観的要素は俺にとって無意味だ。競馬とは馬の競走以外の何ものでもなく、馬名を覚える必要もない。ましてやある馬を気に入って買い続けるとか、逆に絶対に買わないとか、そんな事は愚の骨頂。競馬なんて番号を付けられたお馬さん達の競走でしかなく、俺は個々の馬に偏見を持たず、ただ客観的に比較して的中馬券を求める。

俺の競馬予想は簡単に言えば、レースや馬が持つ様々な客観的数字を多角的に検証する方法だから、計算という作業が主になる。ある日錦糸町ウインズに行く途中で配っていたチラシを見ると、何十もの予想ファクターの中から最高8種類の予想理論項目を選択し、各項目に1~100までの重要度を設定、そこから予想印を弾き出せる競馬予想支援ソフトが載っていた。1999年9月、24回目の誕生日に俺は自分自身にPCと「競馬道Victory2」というソフトをプレゼントした。自身でソフトらしき代物を作れれば、誰かが作ったソフトを使用しなくても済んだのだが、俺は機械に滅法弱いので競馬予想に掛かる時間を大幅に短縮する為のPCと、俺の方法論に酷似しているソフトを購入した。他の競馬予想支援ソフトなら買わなかったと思うが、何十もの予想ファクターと自分で予想理論項目を選択・設定という点に惹かれた。

競馬を始めて1ヶ月半で馬連6点11万馬券的中、9ヵ月半で競馬予想にPC導入、誰も俺を止める事は出来ない。俺は競馬歴1年で競馬予想HPを開設してプロ予想家となる。